ブックカフェの店主に感謝です

数年前に、女性向け雑誌に掲載されていたブックカフェへ行きました。大通りから路地を入ったところにある一軒家の一階部分がカフェになっており、天井まである本棚が幾つも置かれていて部屋いっぱいにたくさんの書籍が並んでいました。どれから手をつけたらよいか分からないほどの品数で心がとても弾んだことを覚えています。最初は猫が主役の絵本を読み、その後も写真集や短編小説、エッセイなどありとあらゆる作品を読むことが出来た夢のような時間でした。そして最後に手にしたのは、70年代にサラリーマンからエッセイストになった男性が書いた随筆集でした。既にたくさんの書籍を読んでいたので、これは家に持って帰ってゆっくりと楽しみたいと考えました。幸いこのカフェでは本を購入することも出来たので、店主に買いたい旨を話しました。するとこの作品は最近手に入れたばかりのもので、店主もまだ読んでいないとのことです。それならばしょうがないと半ば諦めかけたところ、売ってくれるとの話になり購入して帰宅しました。お蔭でゆっくり読書を楽しむことができ、今では部屋の本棚に置かれています。店主には申し訳ないことをしましたが、購入できてよかったと心から思っています。あれからこのカフェには行っていませんが、また近くに行ったらぜひ寄ってみようと考えています。

母に勧められた映画

以前母からからある1本の映画を勧められました。この映画は4コマ漫画が原作となった女性の友情を描いた物語です。のんびりとしていて優しい作風のため心に染み渡り、思わずホロッとしてしまう素敵なお話です。
この作品には3名の女性が登場します。それぞれ仕事も生活している環境も異なりますが、学生時代のバイト先で出会ってから長い付き合いをしています。このように生きている場が違う者同士が自立して付き合うことが出来る関係は理想的だと感じます。なぜならば年を重ねると自分が生きている世界での出会いや交流は数多くあっても、全く異なる環境で生活をしている人との出会いが減少するからです。そのため自分がいるステージとは違う場に身を置く方々と交流する機会があるととても新鮮で、世界観が広がった感覚を味わうことができるものです。こうした人々に出会うと映画の登場人物達のように良好な関係をいつまでも続けていけたらいいなと願うものです。
女性同士の友情は時として少々重くのしかかることや、ひょんなことから距離が出来てしまうこともあるものです。しかしながら時が経てばまた元の関係に戻り、今までよりも絆が強くなることも多々あるものです。この映画を勧めてくれた母も今までの人生で様々な経験をしたからこそ、この作品の素晴らしさを私と共感したいと思ってくれたのではないかと思っています。

生きることを巡礼に例えた作品

心に残る歌があります。旅好きな男性が作る楽曲は心にしみるものばかりで、人生と旅をテーマにした作品が多いのも魅力です。数々の音楽フェスにも登場しており、私も数年前に訪れたサーフィンと自然を融合した音楽イベントで初めてライブをみました。
そんな彼らの曲の中で「巡礼」をテーマに歌ったものがあります。日々の生活の起こる出来事は全て意味があり、私達の生きる道はまるで「巡礼」のようだという詞はとても説得力があります。落ち込んだ時には励まされ、新しいことを始めるスタート地点に立った時には背中を後押ししてくれる1曲だと感じています。またとてもシンプルな言葉で表現していおりスッと心に入ってきてずっと残り続けるところは、大好きな小説に出会ったような感覚を与えてくれます。
何気ない生活を送っていても、毎日起こる出来事や自分の中の感情は刻々と変化しているものです。出会いと別れを繰り返しながら、死というゴールに向けて私達は歩んでいるのです。そしてそのゴールがあることは永遠に続くものは何もないということ、だからこそ一瞬や一時を大切になければということを分からせてくれるものです。これからも実りある人生の旅路を進むためにも、よき人、音楽、そして文学に出会ってゆきたいものです。

働き者と道楽者を描いた童話から考える

誰もが一度は読んだことがある童話に働き者のアリと楽しむことが大好きなキリギリスが出てくる作品があります。幼い頃から慣れ親しんできた作品ということもあり、今でもストーリーをふと思い出す度に、「私はアリとキリギリスのどちらなのだろうか」と考えることもしばしばです。この童話では食料について書かれていますが、人間で考えてみるとお金に置き換えることもできます。若いうちに楽しい事をたくさんしてきたはいいけれど、老後の貯金がなくてまるでキリギリスのようになってしまうこともあるかもしれません。この童話は子供だけではなく、大人にとっても教訓として心に留めておきたいものです。
さてこの物語を始め童話はメルヘンや夢だけではなく現実や生きる教訓、人間の心の裏を描いているものがたくさんあるものです。時折、幼い頃に読んだ子供向けの童話集を引っ張り出して読む事があります。美しい絵と裏腹にシビアな物語は、シュールという言葉が頭に浮かび、読みながらついつい人生と照らし合わせてしまいます。
将来のことを考えた時、きっとこれからも働き者のありと道楽主義のキリギリス達は私の脳裏に登場することでしょう。その度に私は一体どちらなのだろうと思考に耽ると思います。ちなみに私は今を楽しんでしまう「キリギリス」だと思います。

本棚人それぞれ

本棚に本を並べる決まりは人それぞれ違うと思いますが、私はジャンルごとにしています。たとえばここは恋愛小説、こちらはファンタジーであちらはサスペンスといった具合ですね。サイズなどはこだわりなくまとめてしまうものですから、知らない人がちらっと見れば、とても煩雑だなあと感じることでしょう。
しかし気を付けていることはあるのですよ。たとえばなるべく本の高さを揃えること、そして棚の手前にラインに沿って並べることです。やはり全体的にごつごとしていたら見栄えが良くないですものね。それならば判型ごとに置けばいいのはもっともなのですが、昔からこうしているので違うと落ち着かないのです。
知り合いは背表紙が色とりどりなのが目がちかちかすると言って、手前にカーテンをつけています。これなら中がどんな感じでもきれいに見えるでしょうということです。私もカーテンを付けてはいますが、これはもっぱら埃と日光を避けるためのもの。同じものを使うにしても、目的はまるで違うのだなあと思いました。もちろん、効果は一緒なんですけどね。
人の好みも嗜好も考えもあらわれる本棚。機会があれば友人の家を巡って見比べてみたいです。もちろん、隠してある本も引っ張り出したうえで。

たまに使ってしまう古い言葉

たまに昔の古い言葉を使ってしまうことがありますが、みなさんはないですか?別のその時代に生まれていなかったのにどうして使ってしまうんでしょうね。そして、使った時にちょっと恥ずかしくなります。たとえば、テレビ関連でいうと「チャンネルを回す」という言葉を使ってしまいます。今なんてリモコンなので、チャンネルを回すことなんてないのに。あとDVDをレンタルする時に「ビデオを借りる」とかレンタルDVDショップを「レンタルビデオ屋」と言ってしまうことがあります。これはけっこう周りの友人も言っているので、まだセーフかな?でも、10代の若者たちからするとビデオ?と思うかもしれませんね。他にも写真のコピーを「焼き増し」と言ってしまうこともあるかな。
こういったことを考えていたら、やっぱり時代は変わってるんだなってつくづく思います。紙とインクの時代から今は電子書籍の時代に変わりつつあるし。でも、こういった言葉ってすぐに直るものではないし、別に直す必要もないと思っています。意味をみんな分かってくれるし。それでも、DVDのことをビデオと呼ぶのは気をつけないと。若い子の前で使ってしまうとおばさんだと思われてしまうので注意します。

業務用アイスを買ってみた

アイスをいっぱい食べたい!って時ありませんか?ストレスのせいなのか、無性にアイスが食べたくなったので、思い切って業務用アイスを買っちゃいました!コンビニやスーパーのものよりも安くたくさん食べられるのが魅力です。ちなみに買ったのは4000mlサイズです。アイスクリーム屋さんに置いてあるのが、このくらいのサイズだと思ってください。ものすごく食べ応えがありますよ。味はバニラにしました。バニラなら色々アレンジしやすいから、飽きないと思ったので。最近は仕事から帰ってきたら毎日本を読みながらアイスを食べています。そのまま食べても美味しいですが、毎日同じ食べ方だと飽きてしまうので、チョコレートをトッピングしたり、ブランデーをかけたり、パンケーキの上に乗せたり、パフェを作ってその中に入れたりして楽しんでいます。ちょっとした喫茶店です。
まだまだ、残っているので近いうち友達を呼んで、食べてもらおうと思っています。バニラもいいですが、他の味も食べてみたくなってきたので。次はサイズを小さくして、色々なバリエーションの味を楽しむ予定です。食べたいと思っているのは、グレープフルーツ、ココナッツミルク、チョコクッキー、ストロベリー、ラムレーズンなどです。あと黒ごまがあったので、それも食べてみたいかな。

意外な本の収納方法

普段からたくさん本を読む人にとって、悩みの一つに「本の収納」があるのではないでしょうか。田舎の広い一軒家ならいざ知らず、一人暮らしのアパートともなるとスペースに限りがあります。そうしたことを嫌って、本は好きだけれどなるべく買わないで図書館で済ませているという人もいるくらいです。
そんな同じ趣味、同じ悩みを抱えている友人の中にユニークな収納方法を行っている人を見つけました。彼は何と、タンスの中に本を収納しているというのです。「どうしてそんなところに?!」と、私を含めた友人たちが聞きますと、「タンスはあるけれど収納している服は少ない」というのです。確かに、彼は男性ということもありますが、あまり多くの衣服を持っていないようでした。タンスといっても、さほど大きいものではないようです。しかし、それでも空きスペースができることに変わりはなく、しかも本の収納スペースがない…。タンスの中に本を入れるというのは、本当にたまたま思いついたといいます。新しく本棚を買う必要はありませんし、ひきだしに入っているのですから、本が日焼けする心配もありません。一人暮らしならではの知恵といいますか、自由な発想といいますか…。本人さえ場所が分かっていればいいので、来客があっても背表紙で「どんなものを読んでいるか…」と思われる心配もなさそうです。
密かに自分もやってみようかな、と思ってしまったアイディアでした。

超訳というものが気になっています

日本で出版されている本の中には、さまざまな訳のものがあります。海外文学の日本語訳から、古典を現代語訳にしたものまで。
人気作品であれば自国の言葉で読めるのですから、他国に比べて恵まれた環境にいるという人もいます。同じ日本語でも古典を現代語訳にして、まるで普通の小説のように読むことができるのですから、本当に便利なものですよね。
そんな作品の中で、最近「超訳」というジャンルを見かけるようになりました。誰でも名前は知っている古典のとっても有名な作品を、ただ単に日本語にしただけでなく、「今の若者言葉」や「日常的に使われている日本語」に訳されているというのです。若い人が書いたようなブログのように、滑らかな言葉で書かれているその本は、とても多くの人が読んできた古典だとは思えません。
確かに、昔の版と読み比べてみれば「確かにそんなことを言っているのかも…」と思うことができます。同じ国の言葉なのに、ここまで理解度が違うのかと驚いたものもあります。
もしかすると、学者のような人には受け入れられないものかもしれません。しかし、気軽に名作を手に取って、読み、理解して興味を持ってもらうにはこんな演出のようなものも必要なのかなぁ…と思うときもあるのでした。

作家の世界

ひとつの作品を生み出すということは、非常に大きな労力を必要とすると同時に、様々な苦悩やストレス、不協和音といったマイナスなものに支配されながら、満身創痍の想いでようやく形となるものなのではないでしょうか。
普段よく見るCМひとつとっても、その作品の背景には計り知れない苦労が隠されていると思うのです。
最近私がよく思うのは、「小説」といった作品ひとつひとつに潜む「作家さん自身の物語」についてです。良作、時には駄作と世間から評価され、それでもまた新しい作品を作り続けなければならない作家さんの苦労はいったいどんなものなのだろう。そんなことを考えることがあります。私たちは普段、多かれ少なかれ不必要な摩擦にもまれながら日々を過ごしています。それでも、その苦悩というものは些細なことである場合が多いのです。それに比べて作家という仕事を生業にしている方々は、想像もつかない世界に身を置いているのではないでしょうか。「無」から「有」を作り出すことの難しさ、そしてそれを否定されたり評価されたり、様々な風当たりと向き合わなければならないわけです。そんな刹那的な世界に身を置いているからこそ、私たちには想像もつかないような世界観を作品に繰り広げることができるのかもしれません。