意外な本の収納方法

普段からたくさん本を読む人にとって、悩みの一つに「本の収納」があるのではないでしょうか。田舎の広い一軒家ならいざ知らず、一人暮らしのアパートともなるとスペースに限りがあります。そうしたことを嫌って、本は好きだけれどなるべく買わないで図書館で済ませているという人もいるくらいです。
そんな同じ趣味、同じ悩みを抱えている友人の中にユニークな収納方法を行っている人を見つけました。彼は何と、タンスの中に本を収納しているというのです。「どうしてそんなところに?!」と、私を含めた友人たちが聞きますと、「タンスはあるけれど収納している服は少ない」というのです。確かに、彼は男性ということもありますが、あまり多くの衣服を持っていないようでした。タンスといっても、さほど大きいものではないようです。しかし、それでも空きスペースができることに変わりはなく、しかも本の収納スペースがない…。タンスの中に本を入れるというのは、本当にたまたま思いついたといいます。新しく本棚を買う必要はありませんし、ひきだしに入っているのですから、本が日焼けする心配もありません。一人暮らしならではの知恵といいますか、自由な発想といいますか…。本人さえ場所が分かっていればいいので、来客があっても背表紙で「どんなものを読んでいるか…」と思われる心配もなさそうです。
密かに自分もやってみようかな、と思ってしまったアイディアでした。

超訳というものが気になっています

日本で出版されている本の中には、さまざまな訳のものがあります。海外文学の日本語訳から、古典を現代語訳にしたものまで。
人気作品であれば自国の言葉で読めるのですから、他国に比べて恵まれた環境にいるという人もいます。同じ日本語でも古典を現代語訳にして、まるで普通の小説のように読むことができるのですから、本当に便利なものですよね。
そんな作品の中で、最近「超訳」というジャンルを見かけるようになりました。誰でも名前は知っている古典のとっても有名な作品を、ただ単に日本語にしただけでなく、「今の若者言葉」や「日常的に使われている日本語」に訳されているというのです。若い人が書いたようなブログのように、滑らかな言葉で書かれているその本は、とても多くの人が読んできた古典だとは思えません。
確かに、昔の版と読み比べてみれば「確かにそんなことを言っているのかも…」と思うことができます。同じ国の言葉なのに、ここまで理解度が違うのかと驚いたものもあります。
もしかすると、学者のような人には受け入れられないものかもしれません。しかし、気軽に名作を手に取って、読み、理解して興味を持ってもらうにはこんな演出のようなものも必要なのかなぁ…と思うときもあるのでした。

作家の世界

ひとつの作品を生み出すということは、非常に大きな労力を必要とすると同時に、様々な苦悩やストレス、不協和音といったマイナスなものに支配されながら、満身創痍の想いでようやく形となるものなのではないでしょうか。
普段よく見るCМひとつとっても、その作品の背景には計り知れない苦労が隠されていると思うのです。
最近私がよく思うのは、「小説」といった作品ひとつひとつに潜む「作家さん自身の物語」についてです。良作、時には駄作と世間から評価され、それでもまた新しい作品を作り続けなければならない作家さんの苦労はいったいどんなものなのだろう。そんなことを考えることがあります。私たちは普段、多かれ少なかれ不必要な摩擦にもまれながら日々を過ごしています。それでも、その苦悩というものは些細なことである場合が多いのです。それに比べて作家という仕事を生業にしている方々は、想像もつかない世界に身を置いているのではないでしょうか。「無」から「有」を作り出すことの難しさ、そしてそれを否定されたり評価されたり、様々な風当たりと向き合わなければならないわけです。そんな刹那的な世界に身を置いているからこそ、私たちには想像もつかないような世界観を作品に繰り広げることができるのかもしれません。

動物たちの現状を知ろう

「猫畜生」「犬畜生」という言葉を用いて犬や猫が虐げられていた時代から見ると、今の世の中は随分「動物愛護」の精神が世間に浸透してきたように思います。それでもまだまだこの日本と言う国は、海外から比べるとそういった活動が肩身の狭い思いをしているのだと聞きます。
本屋さんや図書館へ行くと関連した書籍もあるのですが、やはりそのスペースは狭く、隅に追いやられているように思います。私も図書館で盲導犬や介助犬、保護された動物たちの物語を読んだことがありますが、この現実を知らない人の方が多いのだと思うと、なんともやるせない気持ちにさせられてしまうのです。
人にはそれぞれ価値観と言うものがありますし、生活水準も違います。動物が嫌いな人、苦手な人からしてみれば、動物愛護の精神を掲げることが「エゴ」だと思えてしまうこともあるでしょう。それは仕方のないことかもしれませんし、強制するようなことでもありません。それでも、今の状態や世界の活動を知ること、知識を得るということは、どんな人にも無駄にはならないと思うのです。命に期限や値段が付けられる存在を弱者とするか、パートナーとして共存していくか、それを考えてみることはマイナスにはならないと思うのです。

本を読むスピード

本を読むことが好きな私ですが、決して本を読むスピードは速いほうではないと思っています。「速読」といって、斜め読みなどをしている友人もいますが、私はどうしても一文一文、一言一言を噛み締めるように読み進めたいタイプなのです。時にはひとりで声に出して読むこともあるくらいですから。ゆっくり読むことで、その場面がリアルに鮮やかに脳裏に浮かぶような気がするのです。
何もリミットがあるわけでもなし、自分のペースでその読書の空間も楽しむことが読書の醍醐味だと私は思うのです。よく、デートで相手を待っている時間も含めてデートなんだ、という事を聞きますが、読書もそうだと思うのです。本を読みやすい空間を整え、飲み物を準備し、心静かな時間を過ごす…。それが私の「読書を楽しむ方法」なのです。
早く本を読めるということは正直「かっこいい!」とも思いますが、私はのんびりマイペースに読んでいくことを好んでいます。ゆっくり読むことで心もなんとなく癒されますし、「自由な時間を持てている」とも思うことができるような気がするのです。一冊読み終えるのに時間がかかってしまうということは、逆に言えばそれだけその本の登場人物との別れを先延ばしにすることができるとも思うのですが、どうでしょうか。

なぜか本屋さんに設置されている証明写真

テナントではなく、店舗型の本屋さんにはたいてい外側に証明写真機が設置されているのではないでしょうか。私も、必要に迫られたときには近所の写真館ではなく、本屋さんにあった証明写真機を思い出して利用したものです。
どうして、本屋さんと証明写真なのか…。ふと思いつくのは、確かに店内では本だけでなく文房具も扱っているお店があります。商品のなかには履歴書もあり、もしかするとそれらを関連付けて置いてあるのかもしれません。
最近ではコンビニでも履歴書と証明写真の組み合わせを見かけます。コンビニには本も置いてありますし…。利用者が多いからこそ、揃えられているのかもしれません。
さらに本屋さんの場合には、就職や入試を攻略するためのガイドブックが置かれている場合もあるでしょう。これから挑む場合、必要書類を揃えている上で心配や心細さが湧きあがってくるかもしれません。そんなときに、参考書をちらっとでも見ると落ち着くかもしれませんね。もしかすると、そのまま購入していくこともありえるかも…。
ひとつのミスマッチな機械から、こんなさまざまなことを連想してしまいます。一見、あまり関係のないように見えて、実は相性のいい商売だと気が付いたのですが、実際のところはどうなのでしょうか…。

戦争体験記

私が小学生の頃、図書室には学年ごとに人気の高い「シリーズもの」がありました。当時はみんな積極的に本を借りていましたので、タイミングが悪いとずっとお目当ての巻を借りることができないということもしばしばありました。
中でも、男女を問わず人気があったのが、ある「戦争体験記」でした。作者が子供の頃に体験した戦争の話を漫画形式で表しているその作品は、幼い私たちに大きな驚きと衝撃を与えました。いわゆる「戦争を知らない子供」である私たち。こんな出来事が本当にあったのか、という、ある意味「怖いもの見たさ」のような気持ちも強かったのではないでしょうか。
そんな時に、自分たちの祖父母を学校へ招いて戦争の話を聞くと言う「特別授業」がありました。自分たちのおじいちゃん、おばあちゃんの口から聞かされると、それまで読んでいたあの本の描写とも重なって急に身近に、そして更にリアルに思えてきました。私の祖母もその場で皆に話して聞かせてくれましたが、普段の畑で一生懸命野菜を育てている祖母が今こうして生きていること、そして私がいるということは、一言では言い表せないくらいすごいことなのだと感じました。私たちはもっともっとリアルにその頃の話を知る必要があるのかもしれません。

時代を表す小説

近年懸念されている、「少年犯罪」の低年齢化と複雑化。大人になりきれていない子供が起こす犯罪はナイーブでデリケートな部分が多いように思います。
逆に、まるでゲーム感覚であったり、ことの重大性を理解出来ていない場合も非常に多いようです。人が死ぬことを軽く捉えている場合も少なくなく、漫画や映画、小説からヒントを得たという短絡さ、そこに加えて一種独創的ともいえる手法を用いて人の命を奪うケースもよく耳にします。私も普段からよく小説を読んでいますが、最近はこういった少年犯罪を扱ったストーリーも多く生み出されているようです。
ノンフィクションではありますが、今の時代を考えると、こういったことが実際にも起きているのだと思うとなんとも言い難い気持ちになってしまいます。また、罪を犯した本人のみならず、容疑者、被害者双方の家族の存在もあります。いずれにせよ、投じた小石は波紋を広げていくのです。小説を読むと、そのことがリアルに胸に刺さります。これが実際の物語ではないと分かってはいても、どこかでやはり生々しく感じるのです。時代と共に、作り出される小説のストーリーは変化していきます。これから先、一体どのような物語が生まれていくのでしょうか。

いくら読書が好きでも…

読書が主に、本を読むことが趣味だというと決まってインドア派だと思われることが多いようです。どうしても、文学青年のイメージがあるからかもしれませんね。
友人の中には、アウトドア派でありながら読書家であるという人もいます。
私自身も、いつまでも室内で本を読んでいるというわけではなく、ときには野外で本を読んで気分転換を図ることもあります。しかし、一番外に出たくなる気分になるのは、物語に触発されたときかもしれません。旅に出る小説やノンフィクション、食べ歩きを題材にしたものなどは、自分も同じような体験をしてみたいと思ってしまうものです。
本から刺激を受けて、行動してみようと思うことも、なかなかできない体験ではないでしょうか。雑誌やコミックエッセイは分かりやすく写真やイラストで刺激してくれますし、文字を追っているだけでもわくわくするような体験を疑似体験させてくれているような錯覚に陥ることがあります。
外に出かけるきっかけとして、読書があるということもアリなのではないでしょうか。結果として、単に引きこもっているわけではなく、外の世界に刺激を求めて出かけるので、健全だと思います。本がいろいろな情報を与えてくれて、その気にさせてくれるきっかけになることもあるのです。

ドラマの原作が意外だった…

急に、小説や漫画がドラマや映画の原作になっていることがあります。
確かに、紙面上だけでなく役者さんが演じるキャラクターが動くところが見てみたい!と思うことはありますが、どんどん映像化することに戸惑っているところがあることも事実です。次はどんな本が原作となって映像化されるのか…。期待と共に不安が混じっていることもあります。
そんな、本が原作となっている作品ですが、元ネタが最近のモノばかりとは限らないことに気がつきました。コミカルで面白いドラマが始まったな、と思って観ていると、やっぱり元は本になっている作品だといいます。どんなものかと思って調べてみると、なんと漫画の神様と呼ばれる人のもので、ずいぶん前に出版されたということを知って驚きました。
現代風にアレンジされているのかもしれませんが、とても面白くて原作が発表された年代など感じさせません。もしかすると、名作は色褪せないということを示した作品なのかも…。
ドラマ化しなければ、自分では探し出すことのできなかった物語です。過去の名作を教えてくれる意味でも、映像化は悪い事ばかりではないのかもしれませんね。よく配役が合わないという議論がなされますが、そのことを差し置いても知らなかった物語を知るきっかけとしては成功しているのではないでしょうか。